白いうさぎ 月の下であいましょう [まじめにきまじめ]

こんばんはー。
ややこです。












雨です。




王子さまなんていないことを、わたしはもうしっている。
寂しいときに、ほしいときに、連絡をくれたくらいで、運命づけて惚れてしまうほど、単純ではなくなってしまった。
それがいいことかわるいことかは、わからない。

わたしは、いままでつきあった三人の男を、すきだと思い込んで、その都度うかれ過ごした日々を、後悔はしていない。口にすべきでなかったこと、するべきでなかったことは思い浮かぶけれど、でも、後悔はしない。それも含めてすべてわたしの性格・性質で、その相手との思い出だった。


でもわたしは、返事をまっている。あたらしい男のひとの。
日付を跨ぐまで、きっと返事はこない。
それでもかまわなかった。わたしは単純に返事をまっていた。この男のひとは、わたしを傷つけない。わたしもあの男のひとを傷つけない。それが、どれほど心安いことか、わたしは知っている。男は、いま現在のわたしにとって、近付きすぎてはいけないものだ。遠くから眺め、ある一定の距離をもって、接するべきもの。度をうしなってはいけない。絶対に、傷つく。わたしは傷つくことにも傷つけることにも耐えられるけれど、耐えたくないのだ。いまは。



ふしだらだふまじめだとそしりを受けるかもしれない。別れてまだひと月も経っていないのに、とか。
それでもかまわない、と想う。女はいつだって上書き派なのだ。男のようにフォルダ分け機能は搭載していない。だから苦しいのだ。新しい男を持ってこなければ、いつまでたっても苦しいままだから。はやく上書きしたい。したい。そうでなければ耐えられない。
それでむりやり、白羽の矢を突きたてた。わたしはわたしを軽んじないで、きちんとわたしの相手をしてくれるあたらしい男のひとにやすらぎを覚えている。ただこれは、恋でも愛でもない。それだけはっきりしている。わたしはかまってくれるひとはすきだけれど、ただ、それは恋や愛とはべつものだ、ということを、わたしはもう学んでしまった。それに、男のひとというのは、いわゆる「よその女」には、感じよくふるまう社会的動物だ。だから、それくらいで惚れたり、勘違いはできない。

そして面倒なことに、そのひとは、友人が惚れている男なのだった。まあ、友人が惚れた男だろうが、わたしが好きになってしまったら横からいただいてしまうけれど、いまのところ、そんな兆候はない。
友人が惚れた男を、そうだと知りつつ誑かして、あげく交際してしまったら、わたしは悪い女だと陰で罵られるのだろう。その友人との関係も、芳しくなくなるのだろう。とてもおもしろい、と想う。でも、面倒はきらいだから、すきにならなければ、つきあったりはしないだろう。わたしには悪女の才覚がないのだ。わたしは自分の評判がおちることをおそれているから。




恋愛沙汰は面倒だ。わたしはきょうまた嫉妬に焼かれた。とうに捨てたはずなのに、どうでもいいと想っているはずなのに、ひどくかんたんに嫉妬にとりつかれた。やはりまだ傷は半分生のままだったのだった。塞がるまで、いますこし時間がかかるだろう。それは確信だった。このみっともなさと、対峙するしかない。対峙して、うけいれて、そしてじたばたして、もがいて、その記憶は、経験は、絶対に無駄にはならない。わたしはいまならそう想える。半分だけ傷が塞がったいまなら。





はやく日付が変わればいいのに、と想ったのはひさしぶりだった。わたしは確かに、あたらしい男のひとに救われている。それは、傷を癒すこととは直接的には関係が無いけれど、わたしが他人にとって無価値ではないということを態度で解らせてくれているところに、わたしはこころから感謝している。

はやく日付が変わって、返事をくれたらいいのに。

ただ単純に、そう想う。
まだ、恋にはとどかない。一生とどかないかもしれない。
でもわたしは感謝している。ありがとうといいたい。救われているのだと。














明日が試験最終日。
がんばります色ボケおんな。



それじゃー、また。


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