月額定額制の僕の恋人 [まじめにきまじめ]
こんにちはー。
ややこです。
タイトルに使わせてもらったのは、クリープハイプの「蜂蜜と風呂場」のなかでいちばんすきなフレーズ。
月額定額制の恋人、って要は、愛人もしくはセフレというやつなんだろうけど、それでも「恋人」と表現する男のいじらしさというか、ずるさというか。きっと、自分を誠実な人間だと想っている(または、「誠実でありたいと想っている」)男なんだろうな。
どう考えても善人だけど、鈍いな。圧倒的に、鈍い。
愛人(かセフレ)を作ってる自分、っていうのがうしろめたかったりはずかしかったりするから、そういう表現を使っているのかもしれない。それか、愛人とかセフレっていう肩書きを女につけることへの忌避感というか、同情ゆえかもしれない。どっちみち、傲慢だなあ。おまえに哀れまれるほど落ちぶれてねーよ。優越感に浸りやがって、気色の悪い。
「月額定額制の僕の恋人」という表現だけで、ここまで妄想を繰り広げていちゃもんつけるあたしは大層気持ち悪いですが、この表現自体は超すきです、感動した。こんなにも想像させてくれるんだもの。
あたしみたいな根暗な文学女は、こういういみわかんない論を頭のなかで展開させて、ほくほくしているものなんです。←
クリープハイプすきだなー。ライブいきたい。ライブ映像観たら、かっこよすぎてしびれちゃったんだもん。きゅんきゅん。マジでやられた。くっはー!って感じ。
ああいう性別が倒錯気味な歌声のもちぬしは、男のひとでも女のひとでもときめきます。いいよね。曖昧でゆらゆらしているところが。
携帯の電源を切っている。
きょうは、連絡とらないどこう、と想っている。こいびとと。場合によっては、明日も。
男に期待するのはきらいなのだ。
うらぶれている。
男にうらぎられたほうが、女にうらぎられるより数段、傷が深い。
ばかばっかり。
あたしのなかにいる何人かの「あたし」は、ばかばっかり。
だって、何度だって信じてしまうのだ。男といういきものを。たとえあのひとにうらぎられても。このひとならだいじょうぶかもしれない、なんて。
期待はきらいなのに、してしまうのだ。ばかばかしい。
でも、あたしは考えを変えた。変えられた。
愛ではないその何かが、愛より劣るものだと誰に言えるだろう。
江國香織の「金米糖の降るところ」に出てくるミカエラは、そう考えていた。あたしはこの一文を読んだとき目からうろこで、一瞬思考停止した。
そうだった、と想った。わたしたちは、愛こそがこの世でいちばん価値あるものだと、『思い込んで(あるいは思い込まされて)』いただけなのかもしれない。というか、そうとしか想えない、とまで想った。
自分と、好いた男のあいだにあるものが、愛でなくてもかまわない。そうだ。確かにそうだ。
それが愛より劣るなんて誰にも言えないし、『解らない』。
でもわかりやすいから、みんなそのことばをつかうのだろう。あいしている、って。
じっさい、好感さえもちあわせていればいいのだ。それが愛でなくても。
あいされたい、と思いつめなければ、男との関係は、尋常でなくやすらかになる、と想う。
あいされなくてもかまわないのだと、教えられた。
それじゃー、また。
ややこです。
タイトルに使わせてもらったのは、クリープハイプの「蜂蜜と風呂場」のなかでいちばんすきなフレーズ。
月額定額制の恋人、って要は、愛人もしくはセフレというやつなんだろうけど、それでも「恋人」と表現する男のいじらしさというか、ずるさというか。きっと、自分を誠実な人間だと想っている(または、「誠実でありたいと想っている」)男なんだろうな。
どう考えても善人だけど、鈍いな。圧倒的に、鈍い。
愛人(かセフレ)を作ってる自分、っていうのがうしろめたかったりはずかしかったりするから、そういう表現を使っているのかもしれない。それか、愛人とかセフレっていう肩書きを女につけることへの忌避感というか、同情ゆえかもしれない。どっちみち、傲慢だなあ。おまえに哀れまれるほど落ちぶれてねーよ。優越感に浸りやがって、気色の悪い。
「月額定額制の僕の恋人」という表現だけで、ここまで妄想を繰り広げていちゃもんつけるあたしは大層気持ち悪いですが、この表現自体は超すきです、感動した。こんなにも想像させてくれるんだもの。
あたしみたいな根暗な文学女は、こういういみわかんない論を頭のなかで展開させて、ほくほくしているものなんです。←
クリープハイプすきだなー。ライブいきたい。ライブ映像観たら、かっこよすぎてしびれちゃったんだもん。きゅんきゅん。マジでやられた。くっはー!って感じ。
ああいう性別が倒錯気味な歌声のもちぬしは、男のひとでも女のひとでもときめきます。いいよね。曖昧でゆらゆらしているところが。
携帯の電源を切っている。
きょうは、連絡とらないどこう、と想っている。こいびとと。場合によっては、明日も。
男に期待するのはきらいなのだ。
うらぶれている。
男にうらぎられたほうが、女にうらぎられるより数段、傷が深い。
ばかばっかり。
あたしのなかにいる何人かの「あたし」は、ばかばっかり。
だって、何度だって信じてしまうのだ。男といういきものを。たとえあのひとにうらぎられても。このひとならだいじょうぶかもしれない、なんて。
期待はきらいなのに、してしまうのだ。ばかばかしい。
でも、あたしは考えを変えた。変えられた。
愛ではないその何かが、愛より劣るものだと誰に言えるだろう。
江國香織の「金米糖の降るところ」に出てくるミカエラは、そう考えていた。あたしはこの一文を読んだとき目からうろこで、一瞬思考停止した。
そうだった、と想った。わたしたちは、愛こそがこの世でいちばん価値あるものだと、『思い込んで(あるいは思い込まされて)』いただけなのかもしれない。というか、そうとしか想えない、とまで想った。
自分と、好いた男のあいだにあるものが、愛でなくてもかまわない。そうだ。確かにそうだ。
それが愛より劣るなんて誰にも言えないし、『解らない』。
でもわかりやすいから、みんなそのことばをつかうのだろう。あいしている、って。
じっさい、好感さえもちあわせていればいいのだ。それが愛でなくても。
あいされたい、と思いつめなければ、男との関係は、尋常でなくやすらかになる、と想う。
あいされなくてもかまわないのだと、教えられた。
それじゃー、また。
2013-03-21 16:40
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by JanBlella (2020-03-21 07:04)