あなたが好きな た ば こ わたしより好きな た ば こ [きらきら]

こんばんはー。
ややこです。


















煙草が、すきだと、ずっと想っていたのです。
けむりのにおいがすき。ちいさいときから近くにあったにおい。

でも吸ったことはなかった。14,5歳がつっぱって吸うならまだしも、18にもなって粋がって吸うのははずかしい、と想っていたし、大学に入ってからはなおさら、19で吸うなんてクソみたいにカッコわりいや、と想って、吸わなかった。


ちゃんとはたちになってから、はじめてすった。はたちになった自分に、あげた。
禁煙であるはずの大学構内の、ひとけのない裏庭みたいなとこにしゃがみこんで、にがいけむりを吸いこんだ。
いきなり肺にいれようとすると噎せることを、江國香織のエッセイを読んで知っていたので、口のなかだけで含んで、まっしろいけむりを吐いた。
このけむりを、半透明にできる日はくるだろうか、そんなことを考えた。
たしかに、これはのどにいいわけがないなって想った。のどがいがらっぽくなった。声が、ひくくなるかんじ。


そのはじめてすった煙草は、ハイライトだった。林檎さんのまねっこ。
にがいのに、あと味があまくて、すごくすきだ、と想った。いまはセブンスターのボックス。わたしははたちになるまで、ソフトとボックス、という種類があることも知らなかった。すいながら、これもきらいじゃないけど、ハイライトのほうがすきだなあ、と想った。なくなったら、またハイライトを買うか、マルボロのメンソールを買うかで悩んでいる。マルメンは、たしかCoccoが吸ってたはず。わたしの吸いたがる煙草はぜんぶ、すきなひとに関連している。林檎さんがすってた(たぶん・・・)から、ハイライト。林檎さんの歌に出てくるから、セブンスター。

チバが吸ってたのはラッキーストライクのはず。ボックスかソフトかは知らない。味かわるのかなあ。天国に一番近い煙草、とかいうふれこみ。バンドマンがよく吸ってるやつ。
チバはすきだけど、あんまりすいたいと想わない。なんでだろ。




チャットの「染まるよ」の1番の歌詞が、まさにわたし、みたいに感じた。たばこについての歌詞。

わたしが煙草をすっても、もうわたしを法律上は、だれも責められない。でも「わるいことをしているみたい」なのは、かくしているからだろうか。わたしは家族にも大部分の友人にも、煙草をすっていることをかくしている。


そういえば、朝吹真理子の「きことわ」に、隠れ煙草をする母親が出てくる。病気がちで、命をちぢめることがわかっていたけれど、おいしそうに煙草をすう、母親が。
だれかに見つかるととめられるとわかっていたから、隠れてすっていた。でも、夫はそれを知りながら、黙認していた。そして彼女が死んだとき、たしか彼女のきょうだいは、夫を責めたはずだ。寿命をちぢめるとわかっていて、どうして煙草をすうのを止めなかったのか、とか、なんとか。
そのときの夫の対応がまた秀逸で、おれは彼女の主治医じゃない、本人が吸いたいといって吸っているものを止める権利がどこにある、というようなことを、きっちり言ってのけた。やるじゃないの、いい男を旦那に持ったわね、と、その母親に言いたくなった。わたしは、まったくもって賛成だ。諸手を挙げて賛成しよう。

本人が吸いたいと言うのに吸わせないなんて、周りのエゴだ。それを止める権利なぞ、だれにあるものか。だって、仮にそうしたところで、長く生きられる保証がどこにある?それならば、すきなようにさせてやるのが、真の愛情ではないだろうか。



話が逸れたけど、わたしがかくしたいと想ってしまうのは、謂れの無い罪悪感ゆえで、その罪悪感がうまれるのは、やはりわたしが女だからだろうか、と想う。女が煙草をすっていると、なにやら心証がわるい、ようなきがする。世間一般的には、あまりいい眼でみられない、ようなきがする。おこられるような。失望すらされてしまうような。
だから、かくす。
周りに、煙草がきらいな女友達がたくさんいることも、口をつぐむ理由だと想う。わざわざ否定されるようなことを口にするのもめんどうくさい。

わたしの男は、煙草がすきじゃない。だから言っていない。匂いでばれてるのかもしれないけど、なにも指摘されたことはない。ばれてるのに止めないのだとしたら、いい男だと想う。ほんとに気づいてないのだとしたら、それでもまあ、いちはやく気づいて止めてくる男よりは、マシだと想う。



ひとつわかったこととして、煙草は中毒性がある、ということは、一般論のようになっているし、わたし自身それをおそれていたのだけど、蓋をあけてみれば、中毒性など、ほとんどないのだった。それが、わたしをおおいにおどろかせた。1週間すわなくても2週間すわなくても、わたしはいらいらもしないし、すわないとおさまらない、という気分にもならない。たまに、おもいたって、ああ、すおうかな、と想って、きわめて意思的に、すう。おいしい、と想うときもある。やっぱりわたしは煙草がすきだ、と想う。

すってみてもうひとつわかったのは、けむりというのは、ほんとうに目にしみるものなのだなあ、ということ。比喩ではなく、ほんとうに、目に刺激が。すごい、と想った。実際経験しないとぜんぜんわからないことも、あるのだなあ。












きょうはひたすら煙草のはなしでした。









あしたはゆっくりできます。煙草でもすおう。

それじゃー、また。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。