嘘吐きとサルヴァドール [らぶ]

こんばんはー。
ややこです。














春って、やっぱりいらいらしたりとか、あたまおかしくなる時期らしいですね。寒暖の差がはげしいことが原因らしいです。こわやこわや。

わたしはこんな時期に色恋などにうつつをぬかしてしまい、絶賛キ○ガイ化しております。はじめてだなあ、春に恋人を持ったのは。


でも、よくよく考えてみれば、高校を卒業するまでの18年間、わたしの人生のなかにごく個人的な意味合いでの「男」はいなかったし、いなくても問題はまったく無く、楽しく、みちたりていたし、あまりよいことではないと想うけど、「完結」していた。女のみで。あるいはいっそ、自分のみで。


そんなふうに生きていた自分を、いまさら――もうすぐでハタチになろうというのに!――むりくりに変えるなんて、これはまた噴飯ものの展開だ、と想った。
わたしの人生には、まだ、男は必要ない。家庭を作るには若すぎ、子を作るには覚悟がたりなすぎる。セックスはなくてもまったくいやではない。いまのわたしにとってセックスは、「あればうれしい」という程度のしろものだ。
なら、男にことさら執着する理由も、根拠もない、という結論に達した。さんざん自分の男を、ささいな(とあとになれば想える)理由でののしってから。

わたしは、それはそれはみっともなかった。みっともなく、ヒステリー女のように、自分の恋人を口をきわめて、ののしった。
わるかったと想う。ののしったことに対してではなく、信じたあたしがばかだったのにもかかわらず、勝手に男の甘言を信じたあげく勝手に失望し勝手に傷つき、勝手に怒りを募らせたことに対して。
男の睦言や甘言なぞけっして信頼すまいと、あれほど自分にいいきかせて生きてきたのに、ほんとうに、なんと安いこころとからだなのかといっそ感心する。



男の甘言なぞ、ほんとうに金輪際、なにがあろうとも、本気で信じたりなどすまい。
うんざりだ。男にも、男をののしってしまう自分にも。失望した。
わたしはこの恋で、そのことを学んだ。だからもう、いつ別れようとも、しったことではないのだ。わたしの人生からふたたび男を締め出すことも、だからもちろんできる。いまは必要ないのだもの。必要がないのに手にする必要がどこにあるだろう。ましてひとならなおさら。














色恋は人を醜くする、と中村うさぎさんはエッセイで言った。ほんとそのとおり。どんどんどんどん醜くなっていく。地獄に転がりおちていく。でもとめられない。もう転がる石なのだ。くだけちるか終点に着くまで、とめられない。
そういうものなのだ。それは転がる石のように。素敵なせりふ。地獄へのファストパス。














それじゃー、また。

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