さあここでは愛というものも意味を為しません [ライフ]

こんばんはー。
ややこです。





ひさびさの更新です。




さて。


B'zのライブチケット、当ったぜ☆←


やったー!これで9月1日まで生きる理由がでけた!

まあSS席はおっこちたんですけどもね・・・(遠い目)いいの、振替でS席にしてもらったし・・・SS席はまた今度でも・・・うう・・・今度っていつだよ・・・←
あとは会場での抽選にかかってるなあ。たのむ!アリーナにして!しかもまんなかのほう!はじっことかマジで!いや!(切実)

今回のLIVE-GYMは「ENDLESS SUMMER」・・・また例のごとくクソダサい(注:褒め言葉)タイトルに、ややこは感涙を禁じえません。それでこそB'z!



あーあとはナマ稲葉さんに会えたら、なにも思い残すことはないな(?)。















恋愛のほうはいきあたりばったり。

たった3ヶ月というのに、このめまぐるしさ。投げつけてしまった棘投げつけられた棘、が山ほどあって、自分が記憶力がそんなに優れていなくてほんとによかったと想った。ぜんぶおぼえてたら、とっくのむかしにブチ切れて別れている、そんなぐあいの言い争いをしょっちゅうしている。いまも。
大人ぶってなにしても許してやるなんて、冗談じゃねえや、と想う。そんなの大人じゃないのだ。へんに落ち着きはらって、冷静にスマートに、なんて、本質的にはぜんぜん大人じゃない。そんなふうにふるまえるのなら、それは恋をしていないのだ。恋なんてしたらさいご、どんどんどんどん欲深になり、結果醜くなる、その醜い自分に悩む、そういうものだ。いくら見かけで冷静にふるまっても、腹のなかでは地団駄踏んでいる、それが恋だ。そうでないなら、それは恋じゃない、と想う。正確に言うと、まあ一種恋だけど、「大人の恋(すごく嫌いこの言葉)をしている自分に恋してる」のだ。自分本位。オナニーだ。


ぶつかることを過剰におそれなくなった、という点では、わたしは大人に近付いていると想う。自分の気持ちを伝える事をなまけなくなった。
もちろん伝えることでいやな想いもごまんとするけど、それは向き合わなければいけない感情なのだと想う。このさき生きていくうえで必要な経験。

だからわたしは、どれほど後味がわるくてもくるしくても痛くても、伝えることをえらぶようになった。それは成長だと想う。退化かもしれないけど。とりあえず正負どっちかには進んでると想う。














セブンイレブンの蒙古タン麺が大好きです。からいものっていいですよね。のどにはよくないけど。のどよわいひとはご注意をば。

それじゃー、また。


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