王子様なら知ってるの 蛇と知恵比べしているから [ライフ]

こんばんはー。
ややこです。







まーだ試験おわってないのにだらだらあそぶモード全開☆です。だーってねむたいんだもん(?)。
つきあっていない男のひととラインをするのはたのしいものだ。つきあっちゃうとだめ。たのしくなくなっちゃう。
でも、こんな文面上のやりとりがたのしいくらいで惚れてしまうほど、うぶではなくなってしまったんだったわ・・・(遠い目)

男ってーのは、興味を持った、しかしまだ寝てない女には、いっくらでも優しい言葉をいえる。で、寝たら、なんか我が物顔になっちゃって徐々に労りを忘れる。基本的にそういう性質のいきものだ。労りを忘れるのは責められないにしても、ちゃんと労る心を思い出して示してくれるひととでなければ長くは続かんのう・・・(遠い目パート2)



だからわたしは、つきあう男とは、すぐに寝ないようにしようと想う。つきあわない男とならすぐ寝てもいいけど。
そう、わたしのテイソウ観念というやつは、一般的ではないのかもしれない。
わたしは、寝ることにそんなに重きをおいていない。だって寝ることなんて、誰相手でもできるもん。特に女はそうじゃん。たいして好きな相手じゃなくてもそれなりになんとかなる。男はたたなきゃ使い物にならんけど、女はべつに大丈夫。セックスってわたしにとっては、ものすごーく無個性なのだ。そのひとじゃなきゃだめ!ってものじゃない。誰でもいーの。目ーつぶってりゃいいんだし。

でも、「ともだち」とかいう話になってくるとね。誰でもいーってわけにはいかないじゃん。そのひとじゃなきゃだめ!だからさ。そっちのほうがやらしいなーと想う。そっちのほうが妬ける。

だから、つきあってる男がいたとして、つきあってるあいだにほかの女とされることなら、ボーリングに行かれるより、寝られたほうがましなの。だってべつにセックスなんか(それも生殖行為じゃなく、ゴムつけてやるような)、だれとでもできるもん。

なんで、一般的には、寝るほうを非難する傾向にあるのだろう?堂々とおおっぴらに、女友達も交えてボーリングに行きます!ってほーがよっぽど、いやらしく感じるけどなあ。だって「ともだち」のほうが、そのひと個人を尊重しているじゃないか。
別に尊重するなって意味ではなく、その尊重という態度のほうがよほど親密で特別だろう。その親密さのほうが、寝ることよりだいぶいやらしい。精神的な絆というのは、肉体的なものより、ずーーっといやらしい。


わたしは、わたしの「男友達」と呼ばれるたぐいの男たちに対して、寝てみてもいいなあとばくぜんと想っていることが大半。寝てもいいけど、つきあいたくはないって男が、男友達。簡潔。だってセックス自体は楽しいからね。楽しいことは友達としたほうがだんぜんいい。わたしは肉体関係を含んだ男友達、というものがずっとほしかった。いまもほしい。いちばんほしい。そういう男は、寝たくらいで「女を所有した」だなんて間違っても考えないような賢い男だと想う。本質を見抜く目をもっていると想う。そういう男と、友達になりたい。




おそろしく熱弁を奮ってしまった。←
わたしはものすごーく精神のほうに重きを置いている、ということがこれでよくわかりますね(ひとごと)。


この夏、何人とあそべるかなあ。
2013年は、おとこあそび元年。とかいうポンチまるだしの宣言を年の始めにしたような。
うん。あそばなきゃ。いましかあそべないもん。男とも女とも大人ともあそぼう。たのしもう。
若いうちにあそばないでいつあそぶのだ。














ともあれ、月末までがんばれば、大学生の夏休みがきます。ビバラ、夏。

それじゃー、また。


しゃくしゃく余裕で暮らしたい! [ライフ]

こんばんはー。
ややこです。




1か月以上空いての更新・・・面目ない。







クレアーズの黒レースの手袋(980円くらい)が超ほしい!と息巻いています。そんな日々です。ちなみにまだ夏休みじゃありません。試験中です。ティアラもほしいのー。2000円弱のお値段だったけど。付ける髪ないけど。ていうかまず美容院にいけ。


3ヶ月弱ほど美容院にいっていません。女子としてこれはどうなのか。湿気で髪がぼわぼわ、のばしっぱのせいで毛先も伸び放題です。こいつぁまずい。

ちょ~~~ひさびさに、髪の毛をのばそう!という絶賛乙女モード突入中のややこは、ロング(注:7歳からの筋金入りショート☆のわたしのなかでのロングは、肩につく程度の長さをさす。)目指してがんばっているのです。いやー、楽しみだな。高3ぶりだな。

前髪はもちろん!ドのつくぱっつんっすよ!男ウケ?しらん!ぱっつん前髪が嫌いな男となんかようつきあわんわい!

髪の毛は縛ると伸びる、という情報にもとづき、ひまさえあれば(?)髪の毛を結んでいます。
とりあえず美容院にいって前髪にリペアかけてもらって、毛先をととのえてもらわねば。バイト三昧で時間がないけどむりくりいかなければ。わたしの精神安定上よくない。←









そして諸事情で2ヶ月ほど服を買っておらず、ずーっとずーっと我慢していたら、今回の夏のセールで、暴発。
イーハイフンで毎日2枚ずつ服を買う、という暴挙に出る。もちろんタイムセール時に。
ARROWでスカラーとのコラボTシャツミニワンピを買って悦に入る(きょうはじめて着たの)。
やっぱりわたしスカラーがすき!お洋服がすき!と叫び倒す(心の中で)。

こんどのお給料が入ったらウィッグを買おうと想っているけど、お洋服もほしいなあー。これから夏のセールまっさかり!だし。とりあえずウィゴーにいってサンダルを買いたい。でも大須遠いなー・・・交通費が。切実。










韓国料理をきょうはじめて外で食べたんですけれども、なんか辛くておいしかったです。辛いの大好きだから超ほくほくしました。よいですねえ。唐辛子さいこう。

ちなみにわたしは蒙古タンメン中本というお店の坦々麺が好きです。たまらなくからくってやみつき。このラーメンのためだけに東京いきたいぐらい好き。大好き。














わたしの夢は、「だれがやっても同じ仕事」をする職業につくこと。存在意義とかいらないの。事務的なほうが性に合っている。

いいなあ。それで定時あがりとかできたら、さいこーすぎるなあ。

その他大勢になりたい。














それじゃー、また。


あなたが好きな た ば こ わたしより好きな た ば こ [きらきら]

こんばんはー。
ややこです。


















煙草が、すきだと、ずっと想っていたのです。
けむりのにおいがすき。ちいさいときから近くにあったにおい。

でも吸ったことはなかった。14,5歳がつっぱって吸うならまだしも、18にもなって粋がって吸うのははずかしい、と想っていたし、大学に入ってからはなおさら、19で吸うなんてクソみたいにカッコわりいや、と想って、吸わなかった。


ちゃんとはたちになってから、はじめてすった。はたちになった自分に、あげた。
禁煙であるはずの大学構内の、ひとけのない裏庭みたいなとこにしゃがみこんで、にがいけむりを吸いこんだ。
いきなり肺にいれようとすると噎せることを、江國香織のエッセイを読んで知っていたので、口のなかだけで含んで、まっしろいけむりを吐いた。
このけむりを、半透明にできる日はくるだろうか、そんなことを考えた。
たしかに、これはのどにいいわけがないなって想った。のどがいがらっぽくなった。声が、ひくくなるかんじ。


そのはじめてすった煙草は、ハイライトだった。林檎さんのまねっこ。
にがいのに、あと味があまくて、すごくすきだ、と想った。いまはセブンスターのボックス。わたしははたちになるまで、ソフトとボックス、という種類があることも知らなかった。すいながら、これもきらいじゃないけど、ハイライトのほうがすきだなあ、と想った。なくなったら、またハイライトを買うか、マルボロのメンソールを買うかで悩んでいる。マルメンは、たしかCoccoが吸ってたはず。わたしの吸いたがる煙草はぜんぶ、すきなひとに関連している。林檎さんがすってた(たぶん・・・)から、ハイライト。林檎さんの歌に出てくるから、セブンスター。

チバが吸ってたのはラッキーストライクのはず。ボックスかソフトかは知らない。味かわるのかなあ。天国に一番近い煙草、とかいうふれこみ。バンドマンがよく吸ってるやつ。
チバはすきだけど、あんまりすいたいと想わない。なんでだろ。




チャットの「染まるよ」の1番の歌詞が、まさにわたし、みたいに感じた。たばこについての歌詞。

わたしが煙草をすっても、もうわたしを法律上は、だれも責められない。でも「わるいことをしているみたい」なのは、かくしているからだろうか。わたしは家族にも大部分の友人にも、煙草をすっていることをかくしている。


そういえば、朝吹真理子の「きことわ」に、隠れ煙草をする母親が出てくる。病気がちで、命をちぢめることがわかっていたけれど、おいしそうに煙草をすう、母親が。
だれかに見つかるととめられるとわかっていたから、隠れてすっていた。でも、夫はそれを知りながら、黙認していた。そして彼女が死んだとき、たしか彼女のきょうだいは、夫を責めたはずだ。寿命をちぢめるとわかっていて、どうして煙草をすうのを止めなかったのか、とか、なんとか。
そのときの夫の対応がまた秀逸で、おれは彼女の主治医じゃない、本人が吸いたいといって吸っているものを止める権利がどこにある、というようなことを、きっちり言ってのけた。やるじゃないの、いい男を旦那に持ったわね、と、その母親に言いたくなった。わたしは、まったくもって賛成だ。諸手を挙げて賛成しよう。

本人が吸いたいと言うのに吸わせないなんて、周りのエゴだ。それを止める権利なぞ、だれにあるものか。だって、仮にそうしたところで、長く生きられる保証がどこにある?それならば、すきなようにさせてやるのが、真の愛情ではないだろうか。



話が逸れたけど、わたしがかくしたいと想ってしまうのは、謂れの無い罪悪感ゆえで、その罪悪感がうまれるのは、やはりわたしが女だからだろうか、と想う。女が煙草をすっていると、なにやら心証がわるい、ようなきがする。世間一般的には、あまりいい眼でみられない、ようなきがする。おこられるような。失望すらされてしまうような。
だから、かくす。
周りに、煙草がきらいな女友達がたくさんいることも、口をつぐむ理由だと想う。わざわざ否定されるようなことを口にするのもめんどうくさい。

わたしの男は、煙草がすきじゃない。だから言っていない。匂いでばれてるのかもしれないけど、なにも指摘されたことはない。ばれてるのに止めないのだとしたら、いい男だと想う。ほんとに気づいてないのだとしたら、それでもまあ、いちはやく気づいて止めてくる男よりは、マシだと想う。



ひとつわかったこととして、煙草は中毒性がある、ということは、一般論のようになっているし、わたし自身それをおそれていたのだけど、蓋をあけてみれば、中毒性など、ほとんどないのだった。それが、わたしをおおいにおどろかせた。1週間すわなくても2週間すわなくても、わたしはいらいらもしないし、すわないとおさまらない、という気分にもならない。たまに、おもいたって、ああ、すおうかな、と想って、きわめて意思的に、すう。おいしい、と想うときもある。やっぱりわたしは煙草がすきだ、と想う。

すってみてもうひとつわかったのは、けむりというのは、ほんとうに目にしみるものなのだなあ、ということ。比喩ではなく、ほんとうに、目に刺激が。すごい、と想った。実際経験しないとぜんぜんわからないことも、あるのだなあ。












きょうはひたすら煙草のはなしでした。









あしたはゆっくりできます。煙草でもすおう。

それじゃー、また。

めぐりめぐる寝息の山に埋もれてしまうのか [まじめにきまじめ]

こんにちはー。
ややこです。



日が長くなりましたね。とても、あついです。




元GO!GO!7188、現チリヌルヲワカのユウちゃん(ギターボーカル)にまた会いたいです。
すんげかった。彼女の延長線上、どまんなかに、あたしは立って、彼女をみれた!正味1メートルくらいの距離。
ゴーゴーのときも見に行きたかったなあ。アッコちゃんやターキーにも会いたかった。ゴーゴーとしてのユウちゃんにも。


ライブってたのしいですね。いつもいかないけど、たまにいくとすごくたのしい。大学生になってアルバイトを始めて、多少小銭を持つようになったのも原因かも。なんせ物販買えるしね、心置きなく☆←


夏のおわりにあるB'zのライブも超!!絶!!楽しみです。ていうかそれを楽しみにしてるためだけに、いまーを生きーているー♪(※アンジェラ・アキ「手紙」)














今月はおうし座、わるい運勢のようです。雑誌のうしろに書いてあった!おうし座は去年が最高だったぶん今年は最悪の運気らしいんですが、今月はとくにわるいらしい。まあたしかにいいことないです。もう半分過ぎたし、じっと耐えて、どっかで噴き出して発散して、やり過ごすしかないと想っております。


恋人とはけんかのし通しで、三ヶ月ごとに倦怠期がおとずれるというのは本当だなあとしみじみ感じております。


欲しい言葉も欲しい態度もくれない男で、ああ合わないなあ、甘えが過ぎるクズだなあとはこれまたしみじみ想うのですが、まあまだ見切りをつけるには早いかなあと想い、細々と続けていく算段。
だって運気わるいんだもん。けんかも致し方なし!とひらきなおっています。あと深く考えてはいけないと想った。あの男の言ってることまに受けてたら、あたしは身の破滅だ。わたしはこの三ヶ月で、自分がつきあっている男をろくでもないと認識するに至ったし、もっと激しい言い方をするなら、クズだと想う。それもクズだと自覚していない、クズ。それはいちばんたちが悪い。なぜならクズはたいていやさしい。まあ、やさしいだけの男なんてロクなもんじゃーないのだ。自分をやさしいと想っている男、気が遣えてると想っている男も、わたしは虫唾が走る。そんなやつは、ほんとうにろくでなしだ。ほんとーに芯からやさしい人間は、それを自覚していないものなのだ。そしてこれは、おなじ自覚していないでも、雲泥の差である。


そんな男となぜつきあっているのか?と考えたら、まだ我慢できるから、というひとことに尽きる。我慢ならなくなったら、わたしは誰のいうことにも耳を貸さず、この男と別れるだろう。それだけは、はっきりしている。


ああ、死んでしまえばいいのになあ、とよく考える。誰にも言ったことはないけど、たぶんあの男が死んでもわたしは泣かない。お通夜にも出ない。かなしくなるのかどうかすら、さだかではない。わたしはあの男を憎んでいる。それは愛しているからだ。矛盾してる。でも本当だ。

いまは、ほんとうに、こころから憎んでいる。こころから。はやく消えてしまえばいいのにと想う。いま、この瞬間は。









Coccoの気持ちが、ようやくわかった。
愛しながら憎みぬく気持ちが。












それじゃー、また。


銀の絵の具をからだにまとって [すきなこと]

こんばんはー。
ややこです。








ぐあー。
ライブいきたい。なんかライブ。


明日がんばれば、もういやなことはひと月弱やってこない。
だから明日。明日がんばる。乗り越えねば。







わたしがほしいのはなんだろう。

わたしがほしいもの。

物質的には、無地の白いTシャツ。できたら丸首がいいな。
あとはリラコ?ユニクロの。長い丈のやつ。
今月のZipperと、「みんな邪魔」っていう文庫本。
あとBOUDOIRの買い置き。「うにっき」の新しいやつ。
銀色の耳飾り。やすくてかわいいスカート。黒色のポシェット。銀のゆびわ。金色のほっそい鎖のブレスレット。あ、アンクレットもほしいな。装身具がすごくほしい。夏だからかなあ。

そんなかんじ。








そして、はやく男を擲ちたい。
いつまでかかずらっているんだろう。それも、男に。
蔑んでいる。きっと。わたしは、男を。
愛するのと同量の力で、憎んでいる。
まったくばかばかしいはなしだと想う。いつまで。いったい。

わたしのほしいものは安定だ。
ただただ、らくになりたいのだ。どんな方法でもいい。男と別れて苦しまずに済むのなら、喜んで投げ捨てよう。それほど、わたしは自分のことしか考えていない。
それを選ばないのは、わたしが男をうしなっても苦しいままだということがわかるからだ。うしなおうがうしなわまいが、わたしは苦しい。どうしても。なにをしても。けっきょくわたしはもう地獄におちている。どのみち、苦しい。
それなら、もうなにもせずじっとしていたい。別れることなど選ばず。それで苦しいほうがましだ。別れることは体力がいる。そんな体力をつかいたくない。






すごく不安定だ、と想う。不安定だ、と想えているうちはまだ大丈夫だと想う。






女の子と音楽のライブいきたい。男はいやだ。つかれる。










それじゃー、また。

悩むのは 暇潰し [ライフ]

こんばんはー。
ややこです。








読んでみたいけどまだ読めていない本というのがある。

「悪の華」とか「黒蜥蜴」とか「失われたときを求めて」とか。

題名だけ知ってるものがほとんど。

うつくしい名前だな、と想う。どれも。












こんなにもばかみたいに泣いていることは、このさき役に立つのだろうか?

なにが正しいかわからなくなる。

死んでしまえばいいのにと想うほど憎むことは果たして愛だろうか?

愛じゃないとしたら、それなら、愛じゃなかったら、意味がないのだろうか?

学生だから、こんなことを考える。
自分で稼がなくても食べさせてもらえる立場だからこんなくだらないことを悩むのに精を出せる。
働き出したらそうはいかないんだろうな。忙殺されてそれどころではなくなる。
夏休みは馬車馬のように働こう。お金を稼いで、9月1日のライブ資金にするのだ!るん。





わたしはいまの男と結婚を「したい」わけではないと想う。でも、するのかもしれない、と想っている。できないかもしれない、とも想う。
生活ができるのかどうか、まだ五分五分くらいだ。


違いを、上手に諦められるかどうか。それができる相手じゃないと、無理だ。
諦めることは痛みを伴う。でも楽になる。
楽にならないなら諦めたくない。わたしにとっては、楽にならないならどっちにしろ一緒だから。




わたしはいま、自分の男を憎んでいる。強く強く憎んでいる。
憎みながら、愛している。
憎むだけで愛していないなら、別れれば楽になるのに。
憎みながら愛しているのだから、始末に終えないんだと想う。
















きょうは、つかれた。
ほぼ初対面のひとと、一緒に行動したから。
とても疲労感がある。大したことはしていないけど。
いつも閉じてるから、ちょっとひらいただけでもつかれるんだろう。















どうなるのかなあ。
男なんて、要らないのに、わたしの人生に、まだ。





それじゃー、また。

さあここでは愛というものも意味を為しません [ライフ]

こんばんはー。
ややこです。





ひさびさの更新です。




さて。


B'zのライブチケット、当ったぜ☆←


やったー!これで9月1日まで生きる理由がでけた!

まあSS席はおっこちたんですけどもね・・・(遠い目)いいの、振替でS席にしてもらったし・・・SS席はまた今度でも・・・うう・・・今度っていつだよ・・・←
あとは会場での抽選にかかってるなあ。たのむ!アリーナにして!しかもまんなかのほう!はじっことかマジで!いや!(切実)

今回のLIVE-GYMは「ENDLESS SUMMER」・・・また例のごとくクソダサい(注:褒め言葉)タイトルに、ややこは感涙を禁じえません。それでこそB'z!



あーあとはナマ稲葉さんに会えたら、なにも思い残すことはないな(?)。















恋愛のほうはいきあたりばったり。

たった3ヶ月というのに、このめまぐるしさ。投げつけてしまった棘投げつけられた棘、が山ほどあって、自分が記憶力がそんなに優れていなくてほんとによかったと想った。ぜんぶおぼえてたら、とっくのむかしにブチ切れて別れている、そんなぐあいの言い争いをしょっちゅうしている。いまも。
大人ぶってなにしても許してやるなんて、冗談じゃねえや、と想う。そんなの大人じゃないのだ。へんに落ち着きはらって、冷静にスマートに、なんて、本質的にはぜんぜん大人じゃない。そんなふうにふるまえるのなら、それは恋をしていないのだ。恋なんてしたらさいご、どんどんどんどん欲深になり、結果醜くなる、その醜い自分に悩む、そういうものだ。いくら見かけで冷静にふるまっても、腹のなかでは地団駄踏んでいる、それが恋だ。そうでないなら、それは恋じゃない、と想う。正確に言うと、まあ一種恋だけど、「大人の恋(すごく嫌いこの言葉)をしている自分に恋してる」のだ。自分本位。オナニーだ。


ぶつかることを過剰におそれなくなった、という点では、わたしは大人に近付いていると想う。自分の気持ちを伝える事をなまけなくなった。
もちろん伝えることでいやな想いもごまんとするけど、それは向き合わなければいけない感情なのだと想う。このさき生きていくうえで必要な経験。

だからわたしは、どれほど後味がわるくてもくるしくても痛くても、伝えることをえらぶようになった。それは成長だと想う。退化かもしれないけど。とりあえず正負どっちかには進んでると想う。














セブンイレブンの蒙古タン麺が大好きです。からいものっていいですよね。のどにはよくないけど。のどよわいひとはご注意をば。

それじゃー、また。


嘘吐きとサルヴァドール [らぶ]

こんばんはー。
ややこです。














春って、やっぱりいらいらしたりとか、あたまおかしくなる時期らしいですね。寒暖の差がはげしいことが原因らしいです。こわやこわや。

わたしはこんな時期に色恋などにうつつをぬかしてしまい、絶賛キ○ガイ化しております。はじめてだなあ、春に恋人を持ったのは。


でも、よくよく考えてみれば、高校を卒業するまでの18年間、わたしの人生のなかにごく個人的な意味合いでの「男」はいなかったし、いなくても問題はまったく無く、楽しく、みちたりていたし、あまりよいことではないと想うけど、「完結」していた。女のみで。あるいはいっそ、自分のみで。


そんなふうに生きていた自分を、いまさら――もうすぐでハタチになろうというのに!――むりくりに変えるなんて、これはまた噴飯ものの展開だ、と想った。
わたしの人生には、まだ、男は必要ない。家庭を作るには若すぎ、子を作るには覚悟がたりなすぎる。セックスはなくてもまったくいやではない。いまのわたしにとってセックスは、「あればうれしい」という程度のしろものだ。
なら、男にことさら執着する理由も、根拠もない、という結論に達した。さんざん自分の男を、ささいな(とあとになれば想える)理由でののしってから。

わたしは、それはそれはみっともなかった。みっともなく、ヒステリー女のように、自分の恋人を口をきわめて、ののしった。
わるかったと想う。ののしったことに対してではなく、信じたあたしがばかだったのにもかかわらず、勝手に男の甘言を信じたあげく勝手に失望し勝手に傷つき、勝手に怒りを募らせたことに対して。
男の睦言や甘言なぞけっして信頼すまいと、あれほど自分にいいきかせて生きてきたのに、ほんとうに、なんと安いこころとからだなのかといっそ感心する。



男の甘言なぞ、ほんとうに金輪際、なにがあろうとも、本気で信じたりなどすまい。
うんざりだ。男にも、男をののしってしまう自分にも。失望した。
わたしはこの恋で、そのことを学んだ。だからもう、いつ別れようとも、しったことではないのだ。わたしの人生からふたたび男を締め出すことも、だからもちろんできる。いまは必要ないのだもの。必要がないのに手にする必要がどこにあるだろう。ましてひとならなおさら。














色恋は人を醜くする、と中村うさぎさんはエッセイで言った。ほんとそのとおり。どんどんどんどん醜くなっていく。地獄に転がりおちていく。でもとめられない。もう転がる石なのだ。くだけちるか終点に着くまで、とめられない。
そういうものなのだ。それは転がる石のように。素敵なせりふ。地獄へのファストパス。














それじゃー、また。

その鼻を圧し折って倒して蹴り上げるわよ [ぐっちー]

こんにちはー。
ややこです。







4月です。
自殺者とうつ病の増加する月。
うららかな月。
なにもかもがむりやりに新しくなる月。
いろんな考えかたがありますね。
どちらかというと、苦手な月です。













こいびとと微妙な諍いがはじまっている気がします。
つっかかったのはわたしです。理屈にあわないことだったけど、それでもつたえた。そうしたら返事がない。どうこたえていいかわからないのかもしれない。或いは面倒になったか。わからない。
ぜんぶ言ってほしいと、いわれた。それでほんとうにぜんぶ言ったら返事が無いなんて、卑怯極まりないと正直なところ想う。
でももしこれで遠ざけられるなら、そのていどの縁だ。あのひとは、わたしの幻想に恋をしていたのだ。これこれこういう女だ、という幻想に。


ぜんぶ言ってほしい、なんてざれごとを、たぶん、信じるべきではなかったのだろう。受け容れてもらえるかもしれない、なんて、ちゃんちゃらおかしい甘い見通しだったのだ。それはわたしが悪い。
これでますます信じかたがわからなくなっていく。どこまでこころのうちを晒すのが適性なのか、だれか教えてくれないだろうか?
こんなに絶望するなら、なにも言わないほうがましだ。言わなければ、つたわらないのはあたりまえで、相手がなにも変わらないのも当然だから。


でも、なにも言わなければ、おそかれはやかれ爆発してしまう。それは目に見えている。もういっしょにはいられず、顔も見たくなくなる。



ほしいときに、いないのだ。そしてほしいときにいないなら、もともといないのとほとんど同じなのだ、わたしにとっては。いや、もともといないより、なおわるい。


わたしの期待にこたえたいと、言ったくせに。男の甘言なんて、ほんとうに、ぜったいに、信じてはいけないものなのだと悟った。絶望ののちに、ものすごい勢いで怒りがこみあげてきた。ばかばかしすぎてお話にならない。男も、それを信じようとした自分も。




どうせ返事がきたら、ほだされる自分も目に見えていて、でもきょういちにちもし返事がなかったとしたら、本気で見限ることを考えている自分もいる。
わかってんのかな、そのへん。きょう一日の身の振り方で、あなたは永遠にわたしをうしなうかもしれないのだ。
たかが、1回返事をしなかったていどのことで。いままでの返さないこととこの1回返さないこととは、まったく重みがちがうことだ。はたしてきづくのかな。
まあ、こいびとのいない女なんかほかに腐るほどいるし、わたしにも同じことがいえる。こいびとのいない男なんかごまんといるのだ。
だからそこまであのひとがわたしに執着する理由がないというのなら、わたしはそれを止められない。こんな面倒な女とやってられるかと想うなら、明るくて裏表がなくてまっすぐでまじめな、ねじれの少ない女をすきになればいいのだ。そのほうがやすらかだし、やすらかでありたいと想うなら、そうすべきなのだ。


でも恋なんて、そんなものだ。否応無く深くまで知るのだから、衝突はあたりまえだし、いやなところが見えるのも当然なのだ。それを面倒くさいと想ったら、愛にはとどかないと想う。そういう複雑なところを乗り越えたら、ようやく相手のいろんなことを許せるようになるのだ。それがきっと愛だと想う。
ずーっと楽しくしていたいなら、なにごとも深く考えないような、能天気でやさしい女の子と、ふわふわきゃっきゃしてればいいだけのはなしだ。
すきにすればいい。勝手に選べ。
















すんげえ愚痴ですいません。
男が絡むと度をうしなうのがわるいくせなんです。

髪の毛切りたいな。
もう戻れないくらい髪の毛切って、金髪にしよう。










それじゃー、また。


好きな時に 思い出してね [すきなこと]

こんばんはー。
ややこです。
















江國香織の「思いわずらうことなく愉しく生きよ」が読みたくて、ぜったい持ってたのにどこにもない!と途方に暮れていたら、床にうずたかく積まれた雑誌の山のてっぺんに(わたしの部屋には、文庫本とハードカバー用の本棚がちゃんとあるにも関わらず)鎮座していらして、驚いた。


ともかくとして、これで読むことができる。


わたしは、江國香織作品がすきで、いちばんすきなのは、一も二もなく「きらきらひかる」なのだけれど、ほとんどの作品のことが、すきだ。それぞれに、愛している。

にがてなのは、「なつのひかり」。なんでだか、いたたまれなくなる。

「落下する夕方」は、すきだけれど、自殺のシーンがやけにリアルにまぶたのうらに浮かぶ。そこのシーンだけは、いつ読んでもおぞけがたってしまう。だから、持っていない。きっともうじき買うけれど、いつも手にとっても、ちゅうちょしてしまう。







江國香織がえがく女たちは、ほとんどすべて、「独り」だ。男がいようと、いまいと。むしろ男がいる女たちのほうが、ずっと「独り」だ。圧倒的に。

彼女たちは、依存しない。自分のなかに流れる時間のなかを、生きている。男に甘えることもあるが、媚びない。自分の意思というものが、いつも当然のように優先され、重んじられる。自分のなかの秩序に従って、行動する。

つまり、とっても保守的なのだ。自分の「枠」を超えない。
常識というか、一般的に蔓延っているつまらない固定概念のようなものよりも、自分の判断を芯から信じ、動じない。変わりものなのだ。しかし、どの女もそのことを自覚していない。彼女たちの勇気というか、奔放さ、大胆さ、などから、畏れながらも目を離せない周囲の人間が、その女のことを、「変わりものだ」とさまざまな表現方法で、評するのだ。だいたい、いつも。







わたしも、こういう女たちのように、なりたかった。
男を愛しても、「独り」で居られる女に。
男に振り回されることは、極端に言えば恥ずべきことだと想っているし、恋したくらいで自分が自分でなくなるなんて、冗談じゃないと想う。

でも、まだ、なれないのだ。「独り」に。ああ恰好わる。恥ずかしい。
どうしてこう、てきとうなんだろう。あたしというやつは。自分がないのかしら。
男に粉骨砕身つくすなんてまっぴらだけど、してしまいたい、と想う自分がいるのだ。
どれだけはしたない女なんだか。おまえにプライドはないのか。あるから、つくさないし、まとわりつかないのだけれど。

わたしはまだこのように「自分」が確立できていないので、依存するのもされるのも恐怖だ。そのひとがいなければなにもできない、なんて!そのひとがいなくなると、自分が変わってしまう(もしかしたらこわれてしまうかもしれない)、なんて!

わたしは、自分で制御できないものがきらいだ。不安になって、不安で不安でくるしくて、ほんとうにしにそうになる。アホウのように心配性だから。


いつになったら、「独り」になれるだろう。むりなどせずに、「独り」に。
一生なれないかもしれないし、もしかして、わたしが知らないだけで、それは「性質」なのかもしれない。生まれ持った、「性質」。
元来、望むと望まざるに関わらず、「独り」な女と、そうではない女が、いるのかもしれない。

そうではないから、焦がれるのだろうか。そうかもしれない。ぬぐいきれない。












GO!GO!7188の「恋の奴隷」があたまに流れています。『好きな時に 思い出してね』『あなた好みの 女になりたい』だよ!とんでもねえ!こんなにハラ、くくれないよ。かっけえな、ここまでくると。







それじゃー、また。


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